延岡市「松尾城跡」♪延岡の中世城郭で最も防御性が高い縄張り・延岡地域で最大の土塁が残る城跡【見どころ・アクセス】

📖 読了目安: 約4分

松尾城跡(延岡市松山町)付近の空中写真

延岡市松山町にある「松尾城跡(まつおじょうあと)」♪ 室町時代後期から江戸時代初期にかけて、延岡(当時は縣=あがた)地域の拠点となった中世の城跡です。延岡の中世城郭の中で、最も防御性の高い縄張りと紹介されています。

この記事のポイント

  • 延岡の中世城郭で最も防御性が高いとされる縄張り
  • 曲輪2の土塁は高さ約2m・長さ約50m(延岡地域で現存最大)
  • 曲輪18から曲輪1へ続く遊歩道がある

見どころ・楽しみ方

  • 守りの工夫:延岡市によると、曲輪1〜3を2つの大堀切で区切り、横矢掛り(敵に側面から攻撃する仕掛け)を重ねています。西へ延びる尾根筋には、堀切・竪堀・土塁が多く使われています。
  • 大きな土塁:曲輪2の北端にある土塁は、高さ約2m、長さ約50mです。延岡地域に現存する土塁では最大とされています。
  • 遊歩道を歩く:曲輪18から北に回り込み、曲輪3・2の西を抜けて曲輪1に着きます。主郭の曲輪1は標高54.5m、比高44mです。
  • 城のまわりの地名:城の南と東のふもとには、武人屋敷という地名が伝わります。堀端・城ケ峰・代官屋敷・馬場野など、城に関わる地名も伝わっています。
松尾城跡(延岡市松山町)付近の空中写真
松尾城跡付近の空中写真(出典:国土地理院 シームレス空中写真)。マークは延岡市の公式ページの地図の中心付近です

知っておきたい豆知識

  • 文安3年(1446年)に、土持宣綱(つちもちのぶつな)が築いたとされます。ただし、根拠となる一次資料はなく、くわしいことは分かっていません(延岡市)。
  • 天正6年(1578年)に豊後の大友氏が縣へ攻め込んだときの資料には、「土持要害 松尾」などの記録が多く残っています(延岡市)。
  • 高平山から南に延びて五ヶ瀬川に突き出た尾根の先端にあります。南は五ヶ瀬川、西は内山谷川、東は松山川が、天然の塀となっています(延岡市)。
  • 城の主体部は、曲輪18〜本東寺の広い東の区画と、曲輪1〜17の西の区画で構成されています。永田神社の丘陵も、出城と考えられています(延岡市)。
  • 発掘調査(延岡市教育委員会、1998年)では、曲輪5から排水用の暗渠の跡、曲輪7から礎石が見つかりました(延岡市)。

よくある質問

松尾城跡はどんな城ですか?

室町時代後期から江戸時代初期の、延岡(縣)地域の拠点となった中世の城です。延岡市の公式ページでは、延岡の中世城郭の中で最も防御性の高い縄張りと紹介されています。

遊歩道はありますか?

市のページによると、曲輪18から曲輪1に至る遊歩道があります。昭和40年代につくられた作業用道路です。山の斜面を歩くので、歩きやすい靴でお出かけください。

誰が築いた城ですか?

土持宣綱が築いたとされますが、根拠となる一次資料はなく、くわしいことは分かっていません(延岡市)。

問い合わせ先はどこですか?

延岡市教育委員会 文化財・市史編さん課 文化財係(0982-22-7047)です。

こんな人におすすめ

  • 城跡の堀や土塁を見て、戦国時代の守りの工夫を知りたい方
  • 延岡城より前の、延岡の歴史にふれたい方
  • 本東寺の慧日梅とあわせて、松山町を歩いてみたい方

基本情報

名称松尾城跡(まつおじょうあと)
所在地宮崎県延岡市松山町
築城文安3年(1446年)に土持宣綱が築いたとされる(一次資料はなく詳細不明)
立地高平山から南に延びて五ヶ瀬川に突き出た尾根の先端
主郭曲輪1(標高54.5m・比高44m)
遊歩道あり(曲輪18から曲輪1へ。昭和40年代に造成された作業用道路)
お問い合わせ延岡市教育委員会 文化財・市史編さん課 文化財係 0982-22-7047(〒882-0822 延岡市南町2丁目1-8)

※延岡市「松尾城跡」(文責 延岡史談会)の記載を確認しています。最新の情報は公式サイトでご確認ください。

アクセス

地図

下の地図は、延岡市の公式ページの地図の中心付近です。

まとめ

松尾城跡は、堀切や土塁に中世の守りの工夫が残る城跡です。遊歩道を曲輪1まで歩いて、五ヶ瀬川に突き出た尾根の地形を体で感じてみてくださいね♪

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松尾城跡(延岡市松山町)付近の空中写真

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