延岡市「岩熊井堰・出北観音堂」♪藤江監物が拓いた五ヶ瀬川の井堰と、今も続く慰霊の地【見どころ・アクセス】

五ヶ瀬川に架かる岩熊井堰の全景(延岡市)

宮崎県延岡市を流れる五ヶ瀬川の下流域にある「岩熊井堰(いわぐまいぜき)」♪ 江戸時代の中ごろ、延岡藩の家老・藤江監物(ふじえ けんもつ)が農民を救うために着手し、享保19年(1734年)に完成した井堰です。昭和の大改修を経て現在の頭首工(取水施設)の姿になり、川を横切って流れ落ちる水の景色が見られます。延岡市出北には藤江監物をしのぶ「出北観音堂」もあり、この記事では2つのスポットを合わせてご紹介します。

「ひばりの巣」と呼ばれた荒地に、水を引くために

江戸時代の中ごろ、恒富村大字出北村(現在の延岡市出北)は、水に乏しく米の収穫が極めて少ない荒地で、「ひばりの巣」と称されていました。農民は貧しい暮らしにあえいでいたといいます。

その苦しみを知った延岡藩の家老・藤江監物は、享保9年(1724年)、郡奉行の江尻喜多右衛門に命じて、五ヶ瀬川に井堰と、水田に水を引くための用水路をつくらせることにしました。

岩熊井堰のパノラマ全景(延岡市)
岩熊井堰のパノラマ(写真:Dentist trust/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0)

相次ぐ洪水と、監物の悲運

工事は初めのうちは順調でしたが、台風や洪水のたびにつくりかけの堰が流され、けが人や病人も増えて、次第に進まなくなっていきます。そんな中、かねてから監物をよく思っていなかった家臣たちが罪状をこしらえ、享保16年(1731年)に監物親子4人が逮捕・投獄されました。監物は、投獄された同じ年のうちに獄中で生涯を閉じました。

それでも工事は続けられました。当初から現場の責任者だった郡奉行・江尻喜多右衛門が村人たちを励まし、監物の死から3年後の享保19年(1734年)に、ついに岩熊井堰が完成します。工事の前には150石しかなかった米の収穫量は、755石にまで増えたと紹介されています。

堰を越えて流れ落ちる岩熊井堰の水(延岡市)
堰を越えて流れ落ちる水(写真:Sanjo/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

今の岩熊井堰は、大改修を経た頭首工

岩熊井堰(岩熊頭首工)は、延岡市の中心部を流れる五ヶ瀬川の下流域にあります。その後もたびたび改修が重ねられ、昭和8年(1933年)と昭和46年(1971年)の大改修によって、現在の近代的な頭首工の姿になりました。堰の上流側は水をたたえて静かな水面をつくり、堰を越えた水が白い筋になって流れ落ちる景色は、五ヶ瀬川ののどかな風景の一部になっています。

川沿いの施設ですので、見学される際は、雨の日や増水時に川へ近づかないなど、安全を最優先にしてください。

藤江監物をしのぶ「出北観音堂」

延岡市出北にある出北観音堂は、藤江監物ゆかりの場所のひとつです。農林水産省の「土地改良偉人伝」では、地域の人びとが今も、監物の命日(旧暦8月18日)に、延岡市出北の観音堂や日之影町舟の尾の墓所などに参拝して、慰霊祭を行い感謝の意を尽くしていると紹介されています。

藤江監物父子ののぼりが立つ出北観音堂(延岡市)
出北観音堂の境内(写真:Dentist trust/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0)

写真(2014年撮影)のとおり、堂の前には「藤江監物父子」の名を記したのぼりが立てられていました。境内には、「岩熊井堰土地改良区併合記念碑」と刻まれた石碑もあり、下南方土地改良区と沖田土地改良区が平成2年(1990年)4月1日に合併して岩熊井堰土地改良区として発足したことが記されています。井堰の水が、今も地域の暮らしと農業に結びついていることを感じられる場所です。

出北観音堂境内の岩熊井堰土地改良区併合記念碑(延岡市)
境内の「岩熊井堰土地改良区併合記念碑」(写真:Dentist trust/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0)

日之影町にも残る、藤江監物ゆかりの地

日之影町観光協会の紹介によると、藤江監物は延岡・岩熊井堰の開拓の祖で、享保16年(1731年)3月7日に息子3人とともに召し捕られ、同じ年の8月に獄中で亡くなったと伝えられています。宮崎県の紹介では、日之影町舟の尾に監物の墓所があり、今も慰霊祭が行われています。延岡と日之影、2つの町の人びとが、300年近くたった今も監物への感謝をつないでいることになります。

基本情報

名称 岩熊井堰(いわぐまいぜき・岩熊頭首工)/出北観音堂
所在地 岩熊井堰:宮崎県延岡市下三輪町(五ヶ瀬川下流域)/出北観音堂:宮崎県延岡市出北
着工・完成 享保9年(1724年)着工、享保19年(1734年)完成
主な改修 昭和8年(1933年)、昭和46年(1971年)の大改修
開発者 延岡藩家老・藤江監物、現場責任者は郡奉行・江尻喜多右衛門
工事の成果 工事前に150石だった米の収穫量が、完成後は755石に増加
慰霊 監物の命日(旧暦8月18日)に、出北の観音堂や日之影町舟の尾の墓所などで参拝・慰霊祭が行われる
見学の目安 屋外の施設です。増水時や雨の日は川に近づかないでください

※2026年9月時点の農林水産省「土地改良偉人伝 延岡の岩熊井堰を拓いた藤江監物」、宮崎県「宮崎の水土を拓いた人々」、日之影町観光協会「藤江 監物」の記載をもとにしています。見学できる時間や駐車場などは、これらのページに案内がありません。

アクセス

  • 岩熊井堰:延岡市下三輪町の五ヶ瀬川沿い。農林水産省の紹介にある施設の位置は「延岡市下三輪町1658」です
  • 出北観音堂:延岡市出北の市街地にあります(下の地図のボタンから位置を確認できます)
  • ご注意:公式ページには駐車場や見学の受け入れについての案内がありません。生活道路や私有地に入らないよう、周辺の交通ルールを守ってお出かけください

地図

下の地図は岩熊井堰付近です。

延岡市のおすすめスポット

こんな人におすすめ

  • 江戸時代の治水史や偉人の物語に興味がある方
  • 井堰を流れ落ちる水の景色を静かに眺めたい方
  • 今山大師寺・延岡水郷鮎やなとあわせて延岡市街を巡りたい方

まとめ

岩熊井堰は、10年をかけて完成した江戸時代の大事業を今に伝える、延岡の水の景色です。荒地だった出北の農民たちを救おうとした藤江監物と、その遺志を継いだ江尻喜多右衛門の物語を知って訪れると、川を流れ落ちる水がいつもと違って見えてきます。出北観音堂は、その感謝が今も受け継がれている場所です。延岡市街を巡る際は、今山大師寺や水郷鮎やななどとあわせて立ち寄ってみてくださいね♪

写真の出典

この記事の写真は、Wikimedia Commons(ウィキメディア・コモンズ)に投稿された作品を、縮小(一部トリミング)して掲載しています。アイキャッチ画像:「岩熊井堰.JPG」(撮影者:Dentist trust/CC BY-SA 4.0)。ほかの写真の出典は、各写真のキャプションに記載しています。

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五ヶ瀬川に架かる岩熊井堰の全景(延岡市)

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