宮崎県東臼杵郡門川町中村にある「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」♪
明治10年(1877年)、久保徳三郎の寄進により建立され、西南戦争後の平和を願う思いが込められた石塔です。
この記事のポイント
- 明治10年(1877年)に久保徳三郎の寄進で建立された石塔
- 塔身に「風雨順時、村中安全」など、平和を願う言葉が刻まれる
- 山の頂上にある。JR門川駅から車で約30分、徒歩約5分

インドの王の伝説にたどり着く塔の起源
宝篋印塔のルーツをたどると、古代インドのアショーカ王が仏舎利を納めるため8万4千もの塔を建てたという伝説に行き着きます。
中国・呉越の王銭弘俶がこれにならって10年をかけて8万4千基の銅塔を各国に配ったことが日本にも伝わり、鎌倉時代半ばには宝篋印陀羅尼経(この経を写経・読誦し塔に納めれば功徳が得られるとする経典)を納める塔として建立されるようになりました。
後世には供養塔・墓碑塔として各地に建てられるようになり、方形の基礎・塔身・笠・相輪という四段構成に、笠の四隅に飾りの突起(隅飾)を持つのが特徴です。
門川町のこの塔は、明治10年(1877年)に久保徳三郎の寄進により建立されたものです。
「風雨順時、村中安全」— 西南戦争後の願いを刻む
塔身には「諸人二世、大願成就、風雨順時、村中安全、百穀円満、一天泰平」と刻銘されており、西南の役後の平和を願う村人たちの切実な思いが込められています。日本各地で激動の時代を経験した明治初期、地域の安寧を祈った先人たちの記憶を今に伝える、静かな石塔です。

基本情報
| 名称 | 宝篋印塔 |
|---|---|
| 所在地 | 宮崎県東臼杵郡門川町中村 |
| 建立 | 明治10年(1877年)、久保徳三郎の寄進 |
| 刻銘 | 「諸人二世、大願成就、風雨順時、村中安全、百穀円満、一天泰平」 |
| アクセス | JR門川駅から車で約30分、徒歩約5分 |
※最新情報は門川町公式ホームページでご確認ください。
地図
見どころ・楽しみ方
門川町の広報誌「町報」平成19年(2007年)4月号(第542号)の永願寺・永願寺奥の院の特集によると、この宝篋印塔は、永願寺奥ノ院がある中村地区「受」の山の頂上にあります。
明治10年(1877年)に久保徳三郎氏が建立したもので、西南戦争で亡くなった人びとを供養するとともに、戦で荒れた村々と人々の心の平和と復興を願って建てられたと紹介されています。
同じ町報によると、お堂から本山までの道沿いにはお大師さんが祀られ、八十八ヶ所めぐりになっています。
お堂には薬師如来像・日光菩薩・月光菩薩・十二神将などが祀られ、境内には室町時代から江戸時代の数多くの石塔が残っています。
奥ノ院について詳しくは、永願寺の記事をご覧ください。
よくある質問
この石塔は、何のために建てられたのですか?
門川町の町報(平成19年4月号)によると、西南戦争で亡くなった人びとの供養と、戦後の平和と復興を願って建てられました。くわしくは上の「見どころ・楽しみ方」をご覧ください。
宝篋印塔は、どこにありますか?
門川町の町報(平成19年4月号)によると、山の頂上にあります。くわしくは上の「見どころ・楽しみ方」をご覧ください。門川町の公式サイトの案内では、アクセスはJR門川駅から車で約30分、徒歩約5分とされています。
こんな人におすすめ
- 明治初期の寄進によって建てられ、平和への願いが込められた石塔の由来に興味がある人に
- 宝篋印塔の起源となったインド・中国からの仏教伝来の歴史を知りたい人に
- 西南戦争ゆかりの史跡をめぐる歴史散策をしたい人に
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まとめ
宝篋印塔は、明治初期の激動の時代に久保徳三郎の寄進で建てられ、平和への願いが込められた、門川町中村の静かな石塔。西南戦争ゆかりの史跡とあわせて、宮崎県北に残る明治の記憶をたどってみてください♪

